谷崎潤一郎「西湖の月」手にしたなら、近年始まった西湖浄化プロジェクトがさらに進み、谷崎潤一郎が称えた清澄な湖水と、湖底に暗緑色の柔らかな天鷲絨の藻を抱く西湖よ甦れ、と望む人は少なくないでしょう。貿易実務の情報サイトらくらく貿易。|杭州 西湖の月 寄稿シリーズ3 貿易実務の情報サイト

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公開日:2012.05.01  / 最終更新日:2012.05.15

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その3」 2012/05/01

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その3 -西湖の月(谷崎潤一郎)」

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西湖の風景が美しいのは主として其の湖水の面積が、洞庭湖や鄱陽湖のやうな馬鹿々々しい大きさでなく、一と目で見渡される範囲に於て蒼茫とした広さを持ち、優しい姿をした周囲の山や丘陵と極めて適当な調和を保つて居る点にあるのだと思ふ。雄大だと思へば雄大のやうにも見え、箱庭のやうだと思へば箱庭のやうにも見え、その間に入り江があり、長堤があり、島嶼があり、鼓橋があつて、変化はありながら一枚の絵を拡げた如く凡べてが同時に双の眸に這入つて来るのが、此の湖の特長である。(中略)

此処に湛へられて居る三四尺の深さの水は、霊泉の如く清冽なばかりでなく、一種異様な、例へばとろゝのやうな重みのある滑らかさと飴のやうな粘りとを持つて居るからである。此の水の数滴を掌に掬んで暫く空中に曝して置いたなら、冷やゝかな月の光を受け留めて水晶の如く凝り固まつてしまふだらう。
- 谷崎潤一郎 「西湖の月」 改造1919年6月号 -
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文豪「大谷崎」の外遊は大正時代に二度、いずれも中国。「西湖の月」は大正七(1918)年の最初の旅、朝鮮半島経由で北京から南に下る二ヶ月の大陸周遊紀行文の一遍です。

谷崎は、上海北站から二等席の鉄道で杭州へ入り、その午後から夕刻までの五時間半の車窓風景と車内のにぎやかな旅客達、特に後日、月の西湖で再会する中国令嬢の瀟洒な姿を丹念に描写しています。

十一月の満月を挟む一週間の杭州滞在を、よほど谷崎は気に入ったようで、別の紀行文中では杭州料理もずいぶんと褒めています。湖水に面する湧金門清秦第二ホテルに泊まり、朝な夕な西湖を眺め、昼は車で周囲を廻り再建前の雷峰塔の優しさを愛で、月の夜更けには舟を頼み、水に浮かぶ三潭印月や湖心亭のほのかな陰影を堪能します。

文中の地名は今も知れる西湖付近の名前、世界文化遺産にも登録された箇所ですが、谷崎の見たのは、今よりも自然に近く、鄙びているがのびやかで優雅な西湖の姿でしょう。中国の詩人墨客が南で多く輩出したのは、御伽話のような江南地方の澄んだ水のある風景に日常接すればこそ、と力説します。

もしこの短編を手にしたなら、近年始まった西湖浄化プロジェクトがさらに進み、谷崎が称えた清澄な湖水と、湖底に暗緑色の柔らかな天鷲絨の藻を抱く西湖よ甦れ、と望む人は少なくないでしょう。わずか九十年の昔、夢のような西湖がここに在る。

2012 © 宮下江里子@杭州超海科技有限公司
(Hangzhou Chao-hi Co. Ltd.)

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その4」はこちら
寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その2」はこちら

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