杭州を語る時、よく引用される「東方見聞録」。ヴェニスの商人マルコ・ポーロの旅行記では、「黄金の国チパング」以上に、詳しく紹介がされています。貿易実務の情報サイト「らくらく貿易」。 |杭州 とマルコポーロ東方見聞録 貿易実務の情報サイト

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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 最終回東方見聞録」2012/08/15

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その10 最終回 -東方見聞録 (マルコ・ポーロ)」

「松江をたって、美しい田園や町や村をすぎ、三日の後、もっとも豪華なキンサイ(行在の音訳。今の杭州)につく。このすばらしい都市については、詳細に話そう。美しさといい、豪華なことといい、世界の他の都市よりはるかにすぐれているから、くわしく話すだけの値打ちはある。」

杭州を語る時、よく引用される「東方見聞録」。
元に仕えたヴェニスの商人マルコ・ポーロの旅行記では、「黄金の国チパング」以上に、文庫本で15ページにも及ぶ詳細な詳しく紹介が続きます。

元軍の揚子江以南への進行から、首都の陥落、その後の変わらぬ都市の繁栄の様子、さらには豊かで優雅な市民生活と彼らの美徳に、書中惜しみない賛辞が贈られます。
この美しい情景が今も、そして未来の杭州の実景として続くことを祈りたく思います。

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バヤンがおしよせてきたのを見た皇帝は周章狼狽し、重臣とともに一千艘の船に乗って大海の中の島にのがれた。皇后はキンサイに残り、勇敢に全力をあげて防衛につとめた。

この頃、皇后は敵の司令官の名がバヤン(百眼)だということをはじめて知った。彼女はさきに天文家が、百の眼をもった人がこの国を奪うだろうと予言したことを思いだし、敵対しても無駄だとさとり、バヤンに降伏し、全領土を引き渡した。引渡しにあたって、何らの抵抗もなく、全くすばらしい征服だった。(中略)

キンサイの市民は平和を好んでいるが、これはそのような教育をうけているためでもあるし、皇帝がその模範をしめしたからでもある。彼らは武器を所蔵してもいないし、使い方も知らない。彼らの間にはいかなる不和、反目、口論さえおこらない。商取引においても、品物の製造においても、彼らは実に正直で、信用できるし、男女も善意にみち、人づきあいもよいので、同じ町内にすむ人々は一家族のように見える。

家庭内では、彼らは大いに妻を尊敬し、決して嫉妬したり、疑ったりしない。既婚の婦人に下品な言葉を使ったものは、野卑な人物と見なされる。外国人が商用でくると、愛想よく親切にとりあつかい、いろいろ援助もするし、助言もする。しかし兵士は、これを見るのも嫌い、大ハーンの守備兵を見ても、自分らの皇帝や貴族を奪った元凶だと考えている。

- マルコ・ポーロ著 青木富太郎訳 「東方見聞録 全マンジの首都キンサイ」社会思想社 現代教養文庫 -
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その9」 2012/07/31

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その9 -海嘯 (田中芳樹)」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」
2012年のNHK大河ドラマは平清盛。杭州を都とした南宋王朝をたどると、その興亡が平家と類似することに驚きます。

共通点は貿易で築いた富と高い文化。平家を滅ぼすのは関東騎馬武士団を率いる源家。指揮官源義経は東北平泉では自刃せず、大陸へ渡りチンギス汗に成るという夢の民間伝承もあり、そのチンギスの孫、騎馬民族蒙古元帝国第五代ハーン・フビライが、南宋朝廷を杭州臨安府から厓山の彼方の海洋へ追い滅ぼしました。

陸路を馬に追われ、最後は海戦で海にて滅ぶ。1185年、平家方八歳の安徳天皇は、平清盛の未亡人二位ノ尼に抱かれ壇ノ浦海中へ。1279年、南宋最後の帝ヘイ(日かんむりに丙)は九歳、「左承相陸秀夫負帝投海、宋亡。」ともに罪無き幼帝の入水で終焉を迎えました。

元王朝はこの後1281年に日本へ襲来(元寇弘安の役)、巡る因果、九州沖の「神風(台風)」でほぼ全滅の憂き目に遭い、これを機に滅びの下り坂を転がり出します。

元の軍船には南宋の民も徴兵され、日本方は海難の兵が宋の遺民だと判ると、亡国の境遇を哀れみ、密かに救命したというエピソードが残されています。

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船室を出てみると、蘇劉義や兵士たちがこぞって前方を指さしている。視線を動かして、陳宜中や鄭虎臣は見た。遠く海面上に陽炎が揺れ、そのなかに、あるはずのない城市が浮揚している。

蜃気楼。あるいは海市蜃楼という。海中に巨大な蜃(はまぐり)がおり、それが息を吐き出すと空中に楼閣があらわれると信じられていた。このとき、よほど気象条件がよかったのであろう。あわい虹色にきらめく海上の城市は、いくつもの高層の楼閣をつらね、潮の音はさながら数万の群衆のざわめきを想わせる。

「まるで杭州臨安府のようだ」
誰かがいった言葉に船上の男たちはと胸を突かれた。「ああ・・・・・・」という声が洩れた。

杭州の城市は今も存在する。だが「臨安府」の呼称は廃され、朝廷も存在しない。宋の首都ではなく、元の一地方都市となってしまった。あいかわらず繁栄し、人があふれていると伝え聞くが、それはもはや臨安府ではない。

臨安府!その名がとどろいて、船上の男たちは咽喉の奥から熱いかたまりがせりあがってくるのを感じた。強大な侵略者と戦いつづけ、主君と指揮官を失ってなお屈しない男たちが、ふいに泣き出した。生きようと死のうと、もはや絶対に臨安府に帰ることはできない。それは地上に実在する場所ではなく、海市蜃楼のように、手に触れることのできない存在であった。
- 田中芳樹 「海嘯 第八章 残照」中公文庫 -
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その8」 2012/07/13

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その8 -杭州菊花園 (陳舜臣)」

さて、海外駐在経験者に質問です、帰国の折、毎回お土産はどうされていましたか?
私の住む杭州も名産品は数あれど、度重なればタネは尽き、空港の熊猫チョコは論外として、龍井緑茶、山胡桃、絹製品、鋏、扇子に老舗の銘菓、全て非情な我が家人の「不要一覧(買って来るな)」入りと相果てました。

先回は中部国際空港にて豊橋名産ヤマサのチクワが苦し紛れの「チューコク土産!」・・・現在、我自身、不要リスト入りの危難アリ。

陳舜臣、神戸生まれの華僑の直木賞作家。
「中国の歴史」「秘本三国志」「中国任侠伝」など、中国を題材にする著作も多く、今回取り上げるのは「杭州菊花園」、六十年前にあった杭州の名園(現少年宮)が舞台のミステリアスな短編です。

一人の女を巡る二人の男、菊を愛する杭州の造園職人、刺繍上手で薄命な娘、菊花園の主で蘇州の大物政商、そしてにぎやかな城隍廟の祭の夜、庭園に響く銃声・・・殺人事件。

ミステリーファンにはぜひ本編を楽しんでいただき、ここで紹介するのは以下の一節。
ありました、杭州土産のヒント、「杭白菊」なら今も市内の超市(スーパーマーケット)で、漢方薬茶として日本でも売られているそうです。次こそは名誉挽回、少しは能書きをタレながら家人に渡せるか?と想っております。

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「あの事件のあったころ、私はまだ子供でした。菊畑だったこの場所に、園林を造りはじめたことも覚えています」
と、彼女は行った。現代中国によく見られる、てきぱきした女性である。
「ほう、菊畑だったのですか。・・・・・・」

このへんの菊は、ただの観賞用ではない。薬用に供するのである。花びらを干したのを、緑茶などにいれる。ほかの土地の菊では、効き目がちがうらしい。杭州の菊でなければならない。それで「杭菊(ハンチ)」という。

杭菊は体内に熱があるとき、それを根本からとり去る効能がある。私など、子供のころから、鼻血が出たりすると、きまって「杭菊」を飲まされたものである。そして、たいてい、杭菊を飲むと、熱がすぐに下がった。

このごろでは、杭菊を粉状にしたものが市販されている。一回分が一袋になっていて、たいそう便利であるが、糖分が多すぎるような気がする。あまり甘いと、薬効がないようなかんじになる。おそらく「良薬は口に苦し」という諺の影響であろう。
- 陳舜臣 「杭州菊花園」徳間文庫 -
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その7」 2012/06/28

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その7 -雷峯塔物語 (田中貢太郎)」

駐在員の任務のひとつが訪問客の杭州案内。
初回なら迷わず西湖、三潭印月、宝石山の保俶塔、この一連の風景が中国一元札に印刷されているのは周知のとおり、少々年上の方には「白蛇伝」の舞台雷峰塔を加えれば、さらに親しみが沸くこと間違いなしです。

日中両国で著名な伝奇物語の題を聞き、東映動画第一号と即答するのはアニメ通、声優は宮城まり子に森繁久彌と言えたらもうマニア。しかし他に日本語で知られた作は少なく、大正の怪談作家の田中貢太郎がまとめたものが通読にはお奨めでしょう。
ただしこれは悲恋型、人と白蛇の異婚夫婦は法海禅師に引き裂かれ、白娘は「雷峯塔倒れ、西湖水乾れ」るまで塔下封印の結末です。

全編戦うヒロインに比し、ヒーロー許宣の不甲斐無さが今の若いカップルを彷彿とさせるのが一興かもしれません。雷峰塔は、西湖南、落雷で崩壊後近年再建され、エレベータで塔に上れば西湖を一望、今も賑わう観光名所です。
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 宋の高宗帝が金の兵に追われて、揚子江を渡って杭州に行幸した際のことであった。杭州城内過軍橋の黒珠巷という処に許宣という若い男があったが、それは小さい時に両親を没くして、姐の縁づいている李仁という官吏の許に世話になっていた。(中略)

 許宣はそのとき二十二であった。きゃしゃな綺麗な顔をした、どこか貴公子然たる処のある男であった。それは清明の節に当る日のことであった。許宣は保叔塔寺へ往って焼香しようと思って、宵に姐に相談して、朝早く起きて、紙の馬、抹香、赤い蝋燭、経幡、馬蹄銀の形をした紙の銭などを買い調え、飯を喫い、新しく仕立てた着物を著、鞋も佳いのを穿いて、官巷の舗へ往って李将仕に逢った。

「今日、保叔塔へお詣りしたいと思います、一日だけお暇をいただきとうございます」
 清明の日には祖先の墓へ行って祖先の冥福を祈るのが土地の習慣であるし、両親のない許宣が寺へ往くことはもっとものことであるから、李将仕は機嫌好く承知した。

「いいとも、往ってくるがいい、往ってお出で」
 そこで許宣は舗を出て、銭塘門の方へ往った。初夏のような輝の強い陽の照る日で、仏寺に往き墓参に往く男女が街路に溢れていた。(中略)

 山の麓に四聖観という堂があった。許宣が四聖観へまでおりた時、急に陽の光がかすれて四辺がくすんできた。許宣はおやと思って眼を瞠った。西湖の西北の空に鼠色の雲が出て、それが陽の光を遮っていた。東南の湖縁の雷峯塔のあるあたりには霧がかかって、その霧の中に塔が浮んだようになっていた。その霧はまだ東に流れて蘇堤をぼかしていた。
- 田中貢太郎 「中国の怪談(一)雷峯塔物語」河出文庫 -
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その6」 2012/06/15

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その6 -江南游記 (芥川龍之介)」

「ジョン・ブルは乙に澄まさなければ、紳士でないと思っている。アンクル・サムは金がなければ、紳士でないと思っている。ジャップは、――少なくとも紀行文を草する以上、旅愁の涙を落としたり、風景の美に見惚れたり、游子のポオズをつくらなければ、紳士でないと思っている。」

大正十(1921)年三月、芥川龍之介二十九歳、大阪毎日新聞海外視察員。上海上陸直後、乾性肋膜炎での入院がケチの最初、三週間後、ようやく杭州への旅立ちが叶いました。

この事態を彼一流のシニカルさ、「游子のポオズ」の苦笑いから始めた芥川先生、体調不良の故か、見るもの聞くもの気に入らぬ。中国絵画的風景の西湖も俗化観光地化が鼻につき、辛辣な筆は止まりません。加えて、杭州旅行の先輩谷崎潤一郎が「天鵞絨の夢」を紡いだ中国令嬢の不在、つまりは「美人に逢えぬ不運」をグチグチとこぼし続けます。

そんな芥川先生の陰々たる気分は、昼食で案内された老舗の菜館・楼外楼でいきなり立ち直ります。理由?・・・以下参照、案外ゲンキンで微笑ましい。
 楼外楼は蓮の葉で包み蒸した「乞食鶏」が名物菜、西湖北湖畔で今も営業中、昼食時には観光バスも横付けする大レストランとなりました。

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十分の後、我々は老酒を啜ったり、生姜煮の鯉を突ついたりしていた。すると其処へ又画舫が一艘槐の蔭に横づけになった。岸へ登った客を見れば、男が一人、女が三人、男女いずれとも判然しない、小さい赤ん坊が一人である(中略)

私は箸を動かしながら、時々彼等へ眼をやった。彼等は隣の卓子に、料理の来るのを待っている。その中でも二人の姉妹だけは、何かひそひそ話しながら、我々へ流眄(りゅうべん)を送ったりした。尤もこれは厳密に云うと、食事中の私を映すとか云って、村田君がカメラをいじっている――其処が御目にとまったのだから、余り自慢にもならないかも知れない。

「君、あの姉さんの方は細君だろうか?」
「細君さ。」
「僕にはどうもわからない。中国の女は三十を越さない限り、どれも皆御嬢さんに見える。」

そんな話をしている内に、彼等も食事にとりかかった。青々と枝垂れた槐の下に、このハイカラな中国人の家族が、文字通り嬉々と飯を食う所は、見ているだけでも面白い。私は葉巻へ火をつけながら、飽かずに彼等を眺めていた。断橋、孤山、雷峰塔、――それ等の美を談ずる事は、蘇峰先生に一任しても好い。私は明媚な山水よりも、やはり人間を見ている方が、どの位愉快だか知れないのである。
- 芥川龍之介 「江南游記 <西湖(四)>」講談社文芸文庫-
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その5」 2012/06/01

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その5 -蒼穹の昴 (浅田次郎)」

「選良」という言葉をご存知でしょうか。
清代まで続いた科挙制度で選ばれた官僚、「挙士は上天の星に応じ、進士は日月をも動かす」と称えられた一時代前の大陸の超エリート文官選良を指す言葉です。

次に浅田次郎、こちらは「鉄道員(ぽっぽや)」「壬生義士伝」などで人気の現代作家、この大メジャー作家の清朝末期中国宮廷ロマネスク、日中共同制作のテレビドラマにもなった「蒼穹の昴」に、「杭州」は実にさりげなくかつ含み深く登場しています。

小説の主な舞台は、北京の宮廷・故宮、実景としての杭州の風景が描かれるわけではありません。主人公の一人、梁文秀青年を運命の星の下に導く先輩、科挙本試験「順天会試」で出会う名も無き老生と、後に文秀青年の岳父となる礼部右侍郎・楊喜楨の二人の出身地、「選良」を多数輩出する由緒ある学芸の都として紹介されます。

なぜ主人公の二人の先達が揃って杭州出身なのか想像するのもオモシロイ。
杭州は風光明媚な観光都市、そして今も中国でも屈指の総合大学・浙江大学を中心に高等教育機関が集まる学問研究の街です。このような視点で杭州のイメージを膨らませつつ、ぜひ読んでください。

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「なんだ、諸君らお友達かね」
と、老生は二人の若者を見比べた。
「友達と呼ぶには畏れ多いがね。こちらは去年の直隷郷試の経魁、王逸君ですよ」
へえ、と老生は王逸の鮮やかな藍衣を眺めた。経魁とは郷試及第者のうち上位五名に与えられる尊称である。

「直隷省の経魁! それはすごいの。合格確実じゃわ」
王逸は応挙七十年の老生を見くだすように、鼻で笑った。

「何も珍しいことじゃあるまい。ここにはどこそこの経魁だけで何百人もいるんだ」
「ごもっともじゃ。かくいうわしも、何を隠そうもとは杭州府の経魁じゃて」
老人は笑いながら咳きこんだ。文秀と王逸は顔を見合わせた。

浙江省杭州府といえばかつての南宋の都、古くから多くの大吏高官を輩出する学芸の地である。同じ経魁といっても杭州のそれは当然水準が違う。
- 浅田次郎 「蒼穹の昴 <科挙登第>」講談社文庫 -
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その4」 2012/05/15

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その4 -岳飛伝 (田中芳樹、編訳)」

若い人に人気の現代作家、田中芳樹。
彼の作品は、アニメにもなった「銀河英雄伝説」、ベストセラーの超能力四兄弟「創竜伝」など、「壮大なスケールと緻密な構成」と評されるSFロマン作品が主流。
もうひとつの潮流が意外や中国歴史モノ、さすがノベルス界のスター、確かな資料収集とその解釈・アレンジ、組み立ての勘所、これがまた読みやすく、つい物語世界に引き込まれます。

杭州の英雄、宋代の悲劇の名将を描くのが「岳飛伝」。
西湖北の観光スポット岳王廟。ここに祀られる岳飛はとにかく大陸で人気です。この作品を読めば、生半可な杭州人よりずっと熱く岳飛を語れるでしょう。

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「鵬挙(岳飛の字)や、お前が逆賊の招聘を受けず、清貧に甘んじ、汚れた富をむさぼらないことは、とてもりっぱだと思います。
でも、私の死後、またあのようなよからぬ輩が誘いに来て、もしもお前が気の迷いから不忠のことをしでかしたらならば、半生の美名がたちまち失われてしまうでしょう。

そこで私は天地祖宗にお祈りし、お前の背中に『精忠報国』の四字を刺字(いれずみ)しようと思います。願わくば、お前が忠臣となり、母が死んでからも往来する人々から、『たいした母親だ、子に名を成させ、忠を尽くして国に恩返しさせ、美名を百世に伝えるとは』といわれますよう。そうすれば、私はあの世でも笑っていられるというものだからね」

中国では「孝」が「名誉」と一体であることがよくわかる台詞だ。母の声に、岳飛はうやうやしく答えた。
「母上のおっしゃるとおりです。どうか刺字をしてください」(中略)
「せがれや、痛いのかい」
「母上はまだ刺してもいないのに、なぜそのようなことお尋ねになるのです」
夫人は涙を流した。
「せがれや。お前は母の手が鈍らないように、痛くないと言っているのだね」
夫人は歯を食いしばって彫りつづけた。彫り終わると、醋墨を塗ったので、永遠に色は褪せなくなった。岳飛は起き上がり、母が子をさとした心に拝礼して感謝した。その後あらためて抱きあって泣いたりはせず、あっさりとそれぞれの部屋にもどった。これこそ千古に不滅の史話、「岳母在岳飛背上刺四字」の故事である。

- 田中芳樹(編訳)「岳飛伝 二巻、烽火篇 第二十二回 義盟を結びて王佐名を假り、精忠と刺して岳母子を訓える」
談社ノベルス -
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その3」 2012/05/01

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その3 -西湖の月(谷崎潤一郎)」

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西湖の風景が美しいのは主として其の湖水の面積が、洞庭湖や鄱陽湖のやうな馬鹿々々しい大きさでなく、一と目で見渡される範囲に於て蒼茫とした広さを持ち、優しい姿をした周囲の山や丘陵と極めて適当な調和を保つて居る点にあるのだと思ふ。雄大だと思へば雄大のやうにも見え、箱庭のやうだと思へば箱庭のやうにも見え、その間に入り江があり、長堤があり、島嶼があり、鼓橋があつて、変化はありながら一枚の絵を拡げた如く凡べてが同時に双の眸に這入つて来るのが、此の湖の特長である。(中略)

此処に湛へられて居る三四尺の深さの水は、霊泉の如く清冽なばかりでなく、一種異様な、例へばとろゝのやうな重みのある滑らかさと飴のやうな粘りとを持つて居るからである。此の水の数滴を掌に掬んで暫く空中に曝して置いたなら、冷やゝかな月の光を受け留めて水晶の如く凝り固まつてしまふだらう。
- 谷崎潤一郎 「西湖の月」 改造1919年6月号 -
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文豪「大谷崎」の外遊は大正時代に二度、いずれも中国。「西湖の月」は大正七(1918)年の最初の旅、朝鮮半島経由で北京から南に下る二ヶ月の大陸周遊紀行文の一遍です。

谷崎は、上海北站から二等席の鉄道で杭州へ入り、その午後から夕刻までの五時間半の車窓風景と車内のにぎやかな旅客達、特に後日、月の西湖で再会する中国令嬢の瀟洒な姿を丹念に描写しています。

十一月の満月を挟む一週間の杭州滞在を、よほど谷崎は気に入ったようで、別の紀行文中では杭州料理もずいぶんと褒めています。湖水に面する湧金門清秦第二ホテルに泊まり、朝な夕な西湖を眺め、昼は車で周囲を廻り再建前の雷峰塔の優しさを愛で、月の夜更けには舟を頼み、水に浮かぶ三潭印月や湖心亭のほのかな陰影を堪能します。

文中の地名は今も知れる西湖付近の名前、世界文化遺産にも登録された箇所ですが、谷崎の見たのは、今よりも自然に近く、鄙びているがのびやかで優雅な西湖の姿でしょう。中国の詩人墨客が南で多く輩出したのは、御伽話のような江南地方の澄んだ水のある風景に日常接すればこそ、と力説します。

もしこの短編を手にしたなら、近年始まった西湖浄化プロジェクトがさらに進み、谷崎が称えた清澄な湖水と、湖底に暗緑色の柔らかな天鷲絨の藻を抱く西湖よ甦れ、と望む人は少なくないでしょう。わずか九十年の昔、夢のような西湖がここに在る。

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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その2」 2012/04/17

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その2 - 空海求法伝 曼荼羅の人(陳舜臣)」

私事で恐縮です。仕事柄、月に二、三度、事務所のある杭州市西湖区から蕭山区へ銭塘江を渡ります。ゆったりとした川の流れに感激し、その広さを実感すべく、駐在初年の夏、六和塔から銭塘江大橋を徒歩で越えたことがありました。

杭州の夏は気温40度を越え、半端な暑さではありません。日陰の無い大橋も短い距離ではなく、汗でヨレヨレ、もう二度と、と堅く決心いたしました。我ながらホントに酔狂。

銭塘江が有名なのは旧暦九月、大潮時の潮水逆流。世界でも南米アマゾンと銭塘江だけで見られる珍現象です。大逆流の年は波の高さが十メートルにも及び、ニュースになり、観潮ポイントへの観光バスも出ます。2005年、私も観潮ツアーに参加しました。

逆流は自然の奇観、寄せる波の海に慣れた島国人の目には、彼方に白い波頭が見えてから、あわ立つ一波が目前を過ぎるのに悠に十五分、ゆったりのんきな光景に映りました。

さらには珍しくはあるが、あまり美しくはない、とも思いました。
水の色はこの国特有の細かい沙、粘土質を含んで濁ります。私の故郷、愛知木曽三川も決して清くはないが、小学生の夏休み、砂地の河原で靴を脱ぎ、水に足を入れることに躊躇なく、しかし逆流する黄色い泥水に、小指なりとも浸けたいとは思えませんでした。

古き昔、この銭塘江をもっと別の視点、別の感慨で眺めた人がいます。
銭塘江は寧波で東シナ海へと注ぎ、その先は大和の国へとつながります。西は京杭運河で黄河へ、そして大唐文明の粋、きらきらしい長安の都へと続きます。

一連の水の道は、大和の民にとっては渡海遭難の恐怖とともに、選ばれた国の留学生(るがくしょう)のみに許された晴れがましき憧れの道でした。

延歴二十三年(804年)発の遣唐使一行、讃岐国出身で日本の真言密教の巨星、弘法大師空海が、正にこの文化の水の道を旅しておりました。
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「別駕の句ではないが、あなたはいったい、万里の外からなにをしにきたのですか?」

惟上は軽いため息をまじえ、空海をみつめてそう訊いた。
杜知遠がそばでうなずいた。松柏観で知り合ったときから、彼はおなじ疑問をもっていたのである。
「さあ。・・・・・」空海は銭塘江の水に目をむけ、すこし首をかしげた。―「いろんなことを学びに来たのですよ。いろんなことを・・・・・」
一行は銭塘江をくだって杭州に着き、そこではじめてまる一日、旅をせずに城内にとどまった。
- 陳舜臣 「空海求法伝 曼荼羅の人 <星発星宿>」集英社文庫 -
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その3」はこちら
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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その1」 2012/04/02

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その1 - 街道をゆくシリーズ:中国・江南のみち(司馬遼太郎)」
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「さらにくだると、構造のがっちりした大きな楼門があり、金塗の額に、「岳王廟」とあった。南宋の武人岳飛(1103~41)の廟である。
岳飛は一介の武人で、むろん王などではなかったが、その死後、庶民がかれを敬愛したために南宋の朝廷も黙しえず、死んで六十三年後に鄂王という王号を追贈した。通称は、岳王である。(中略)
岳王廟は「関帝」ほどには民間信仰の対象にならず、その廟所は、かれの墳墓のあるこの場所にしかなさそうである。」
司馬遼太郎 「街道をゆく19 中国・江南のみち <岳飛廟>」朝日文庫より
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1975年、日本の国民的作家司馬遼太郎の一行は、無錫から蘇州、杭州を経て紹興、寧波にいたる江南の地を旅しています。

杭州では西湖を巡り、霊隠寺の弥勒菩薩(布袋)を観、竜井の西湖人民公社双峰大隊を訪ね、茶と急須の伝来を考察します。一行がたどったコースも、概ね今の観光ルートに重なり、訪問先の印象も30年以上の歳月、古さはほとんど感じさせません。

岳王廟は、西湖蘇堤の北辺、北山路にある有名な旧跡。
日本の明治維新の原動力、「尊王攘夷・尽忠報国」の水戸国学は宋学が出自。その宋学の本山、南宋の憂国の英雄へ注ぐ視線は、回天期の日本を書き続けた司馬らしくいかにも奥深いものがあります。

彼が訪れた時、岳王廟門内の建物は既に再建物後、さらなる修復はあれ、今の姿と大差はなかったでしょう。

ただし、門外は一変です。作家が見た洗濯物が翻り、子供らが遊ぶ長屋門の道沿いの白壁は、今や商業発展を謳歌する土産物屋や珈琲バー、ファーストフードチェーン店のカラフルな看板の並びに変わり、連日大勢の観光客で大賑わいです。

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寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 はじめに」 2012/04/02

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 はじめに」 著者:宮下江里子

大陸中国の華東地区、浙江省の省都・杭州をご存知でしょうか? 「上有天堂、下有蘇杭」

杭州は、中国内では古より「地の天堂(天国)」と称えられた歴史ある風光明媚な地です。けれど、つい先ごろまで対で語られる蘇州と比べ、日本での知名度はそれほど高くありませんでした。「蘇州夜曲」のような流行歌がなかったからかもしれません。

2011年に杭州の西湖- West Lake – がユネスコ世界文化遺産リストに登録され、東京大阪への航空直行便が飛び、最近は認知度も上がってきたようです。
しかし、実はそれ以前から、日本でも知る人ぞ知る土地ではありました。

私はベタな日本のオバさん、本業こそイマドキっぽいIT関連ですが、ニホンゴ以外にマトモに使える言語ナシ、和食大好き、弾ける楽器は細棹(小唄用)三味線、歌舞伎、文楽鑑賞が最大の娯楽でした。

そんな私が縁合って杭州の現地法人責任者として赴任し、異国に暮す内、カタコトながら言葉を解し、私以外は全員中国人の会社をジタバタしながら切り盛りし、この地の友人を得、気が付けば八年目を迎えます。

この度、コラムを執筆する機会をいただき、今は私の第二の本拠となった杭州を、故郷日本の方々にもっと知っていただけたらと、日本の書籍の中に表れるこの地を題材に、現在の風景と並べるかたちでお伝えしようと考えました。

コラムで紹介する本は、魅力的で読みやすいものを選びました。もし機会があれば、ぜひ原書も読み味わってください。そしてこれがきっかけとなり、実際に杭州にお越しくださる方が現れれば、本当に幸せに感じます。

2012 © 宮下江里子@杭州超海科技有限公司
(Hangzhou Chao-hi Co. Ltd.)

寄稿シリーズ:「書籍の中の杭州 その1」はこちら